シコルスキー

ブログ王

なんそれ。

ここ数年、本当に最近からではあるけどお笑いの賞レースでどっと疲れてしまう。

 

正しく言うと賞レースに対する世間の反応、思想、ムーブメントという最中から事後にかけてに疲れてしまう。

 

明確にいつ頃からというのは自分でも理解できてはいないけど心当たりはある。

M-1”というひとつのタイトル、所謂ブランドが年数とともにブラッシュアップされていき、第七世代の台頭によってファンの年齢層が下がり、坂道系列のアイドルの冠番組に名だたる芸人が就任することによってアイドルヲタク達の仲間意識がお笑いコンテンツを蝕み、日の光を当て、テレビだけでなくラジオという媒体を表舞台に出してしまった。この時期である。

(あくまで主観。)

 

「え、R-1クソつまらないんだけど私だけ?」

「R1、めっちゃつまらないんですけど?
お笑いこれでいいん?」

 

Twitterにて数多も拡散されていたこれらの文言が特にキツかった。

いや、何言うとんねんというのが僕の心の声であるが、別に「つまんないわけないだろ!」などということが言いたいわけではない。

(てかそこまで賞レースに対してツイートするくらい興味もあって熱量もあるならあらかじめ決勝進出者全員がどういうネタやってるかなんて調べてるし、そこでどのくらいのレベルの大会かだってわかるだろ。)

 

 

面白いかの有無についてではない。

 

ここ最近から自分のプロフィールの趣味欄に【お笑い(テヘペロ笑)】と書き始めたレベルの新参者ファッションお笑いファンの皆さんは知らないと思いますが、R-1は正直毎年そんな面白くはないです。

 

もう一度言うとR-1は毎年、そこまでハネるような賞レースではないです。

 

一人芸には一人でやるなりの限界があるし、ましてやM-1で起きるような爆笑なんかは起こらない。

(もちろん起こることだってあるし、コンビ芸と一人芸に優劣をつけているというわけではない。)

ボケに対するツッコミという構図を一人に落とし込むにはフリップ芸が王道中の王道である。だから今年のR-1フリップ芸多すぎてつまんないとかいう意見はお門違いなのだ。

 

賞レースの決勝は爆笑するレベルのお笑いが見れるとM-1によって洗脳されてきたファッションお笑いファンwの皆さんはそりゃ面白くなかったでしょう。

当日だけ騒ぎ立てるだけ騒ぎ立てといて次の日には話題にすらならない、ましてや数時間後には2番手までのネタなんてつゆ知らずの人だっているだろう。

 

 

お笑いファンは基本的には線引きが緩い。

これは良い意味で言っている。

 

舞台に置かれたスタンドマイクの前に立ち、人を笑わせればそれはもう漫才だ。

マヂラブの漫才論争なんてもんはどうだって良い。

対して理解もせず、近年流行の笑いもチェックせずにお笑い界の天王山だけ見りゃそりゃ漫才論争なんて起きるだろう。

(いや、でも普通に考えてそんな思考にはならないだろうwwというのが僕の意見。)

 

SNS等覗いても対して理解してこなかった層が発してるとしか思えない。

 

だから毎年大会後のGYAOにて配信されているM-1の打ち上げや反省会なんて見ていないし、存在すら知らない。

昨日オンラインで配信された∞ホールにて行われたR-1のアフタートークなんてものも知らない。

 

だからただムカついてしまう。

普段趣味としてどっぷり浸かっているお笑いという沼、テリトリーを年に数回の賞レースというタイミングだけで介入してくる層に。

そのような層は人単位で芸人を見ず、あくまで芸という単位でしか見ていない。

 

笑いが起きなければそれは優れた芸人ではない、テレビに出てこなけりゃ優れた芸人ではない。そんなわけがない。

 

 

 

お笑い芸人は世界で一番かっこいい仕事だと僕は思っている。